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明治20年義父連城の助けを得ながら「私立白蓮女学校」(後の徳山女学校)を創設し女子教育が始められた。 この縁でもって明治22年(1889)〜25年(1892)にかけて国語教師としてここ徳山の地で教鞭をとった。 だがこの時期の鉄幹は不遇の時代といってよい。 明治25年の徳山脱出?、上京しやがて文壇に登場する。林タキノと離婚し、後晶子をめとり家庭的にも 落ち着き明治33年(1900)「明星」を創刊する。これは明治浪漫主義運動の源泉となった。 『鉄幹子』の歌『人を恋うる歌』は人口に膾炙した。
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【与謝野鉄幹歌碑】![]() |
所在地:山口県徳山市(現:周南市)大華山山頂第一駐車場
「彼のあたり 二十(はたち)の前の我を知る
与謝野鉄幹の来徳の経緯 |
| 【歌碑拡大】 所在地:山口県徳山市(現:周南市)大華山山頂第一駐車場
文字は佐藤春夫の筆である。 | ![]() |
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【歌碑説明板】 所在地:山口県徳山市(現:周南市)大華山山頂第一駐車場 鉄幹は、タキノの持参金を元手に雑誌「明星」を創刊。これは鉄幹が鳳晶(晶子)と再度、再婚する前のことである。 |
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【明治・大正期の徳応寺】 寺史より転載 この徳山女学校も大正2年、安子が亡くなると、女学校は最後の卒業生を送り出したのち大正5年閉校となった。 |
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【現在の徳応寺】
明治・大正期の雰囲気思い起こすすべもない。 |
写真左 孝女 阿米(およね)の墓 写真右照幢師と安子の碑
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友をえらばば書を読みて 六部の侠気四部の熱
恋のいのちをたずぬれば 名を惜しむかなをとこゆえ
くめやうま酒うたいひめに をとめのしらぬ意気地あり
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